世界あちこち見聞録 世界三大瀑布Ver2

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、日を追うごとに暖かくなってきました。

株式会社エマール 広報担当 MADAM H です。皆さんいかがお過ごしでしょうか?


 


前回は、世界三大瀑布についてご紹介しました。

今回は、その中の1つアメリカ・カナダ国境にあり

自然景勝地ナイアガラの滝について源流を始め、滝のルーツや注ぎ先を追ってみたいと思います。

人気のある観光スポットで、日本からアクセスが良いので何回か行った事がありますが、

滝を見ることに集中してしまい、枯れる事のないこのすごい量の水は

どこから来るのかと考えたことはありませんでした。(゜-゜) 




この滝の水源は五大湖の一つエリー湖で、そこからナイアガラ川を経由しオンタリオ湖へ注いでいます。

           

5大湖の中でもエリー湖は4番目に小さく、最も水深が浅く水量も少ない湖です。

一番小さなオンタリオ湖へ注いでおり、それでも四国位の広さで、琵琶湖の約30倍近くあります。

湖面標高74mと最も海抜が低く、地球上の湖の中では14番目の大きさを誇っています。「オンタリオ」とは、インディアン部族イロコイの言葉で【輝く水】又は【美しい湖】を意味しています。


ナイアガラ川が2つの湖エリー湖とオンタリオ湖を繋いでいて、

ここにある落差で滝となり、人が集まり、金の流れが生まれました。


川は2つの湖をつなぐ重要な内陸水路だった訳ですが、その昔はこの段差が大きな水上交通の阻害要因でした。

古くは、ナイアガラ滝をはさんで連水陸送のための道路が用意されており、

貨物を船から降ろし、陸路で輸送した上で別の船に積むための拠点として、カナダ側にクイーンスの村がありました。

1825年にエリー運河、1829年にウェランド運河が開通すると、

ナイアガラ滝を避けてエリー湖とハドソン川の間、またエリー湖とオンタリオ湖の間に船を通し、大西洋とエリー湖が2本の水上交通路で結ばれました。

ウェランド運河はその後3回ルート変更がなされ、1932年に開通した第4運河が現在使用されています。

ナイアガラの滝は、人々を圧倒する存在感を持った美しい滝です。

しかし、この世界一有名な滝の景観が、堰やダムによる人工的な操作の結果維持されていることは意外に知られていません。

滝には、水量が多いゆえの悩みがありました。それは浸食問題です。

滝は水の力によって侵食され、年間約1メートルの速度で歴史的に後退(上流側へ移動)してきたのです。現在は美しい馬蹄形のカナダ滝ですが、1678年には滝の位置は今よりも300m以上下流にあり、滝の形もほぼ真っすぐでした。

      




    

この悩みの解消と発電の増強を目的として、1950年ナイアガラ条約が結ばれました。   


ナイアガラの滝には、通常は毎秒1,416m3、観光シーズン(4~9月)は朝8時から夜10時まで(9月後半は夜8時まで)はその倍の毎秒2,832m3の水を流せば良いものとし、それ以上の水は発電等のために迂回させても良いというルールにしたのです。

流量は毎秒4,000m3でしたが、1909年の国境水条約だけしかない状況であれば毎秒6,400 m3位と、6割多く流れていた事になります。

条約の締結後に続いた発電所の建設のお陰で、滝の位置の後退速度は年間約10cm程度に現在は減っています。

従来の約10分の1の速度です。

観光客、電力事業者、滝周辺の経済主体の三者いずれにとっても望ましい状態が、発電取水による水の迂回によって生まれたわけです。

水力発電自体を世界で初めて行なったのは、イギリスの ウィリアム・ジョージ・アームストロングで、1878年、自宅の照明用の電力を得るために、自宅から1km離れた場所に水力による発電機を設置したのが始まりです。

その後、1881年、エジソンが建設した水力発電所がナイアガラの滝の近くに建設されたことを契機に、水力発電所は建設ラッシュを迎え、1886年にはアメリカとカナダに45の水力発電所が建設され、1889年にはアメリカ国内だけで200の水力発電所が稼働するようになり、短期間で急速に水力発電所の建設が進んだのです。

カナダ・オンタリオ州政府による、水力発電プロジェクトが完成し、ナイアガラの滝からの、よりクリーンな再生可能エネルギーの利用が強化され、2005年9月より開始、ナイアガラの滝で大規模水力発電が完成し、 カナダ16万世帯へ電力を供給しています。一つの点から過去へ遡ると、阻害要因を解決した事で色々な恩恵を得たことが理解できます。