世界あちこち見聞録 新・世界の7不思議 チチェンイッツア(メキシコ)

株式会社エマール広報担当MADAMHです。皆さんいかがお過ごしでしょうか?

秋も深まり、木の葉も色づく季節となりました。とても過ごし易くなりましたね。

新世界の7不思議シリーズ、今回は最終回でメキシコにあるチチェンイッツアの遺跡

についてお伝えします。アステカやマヤ文明などの古代遺跡の残っているこの国ですが

日本の国土の5倍もある広大な面積には、古代遺跡だけではなく、沢山の魅力ある

場所が点在しています。20代初めの頃に何回か一人旅で訪問した国です。

チチェンイッツアの遺跡は、ユカタン半島のサバンナ地帯に800年近く続いた栄えた

古代マヤ文明の代表的な都市遺跡で広大なジャングルの中に戦士の神殿、天文台など、

数多くの遺跡群が点在します。

さまざまな時代に建てられた壮大な遺跡の数々が今も残され、当時の栄華を彷彿とさせます。

ピラミッドと言うと、どうしてもエジプトを思い出しますが、ここ中米メキシコにも多く存在します。

チチェンはマヤ語で「泉のほとり」、イッツァは「魔術師、イッツァ族」を意味します。

その名の通り、そこはかつてマヤ系イッツァ族によって巨大なセノーテ

(石灰岩地表の陥没穴に地下水が貯まった天然の泉)を中心に築かれた都市でした。

セノーテはマヤ文明の時代の重要な水源として重宝されていました。

ユカタン半島の北部には、天然の河川や湖がないので、「真水を得られる唯一の場所」

だったのです。乾季の時期でも安定して綺麗な水を手に入れられる貴重な場所でした。

マヤ文明が強大な王国になれたのも、このセノーテがあったからこそです・

セノーテは、生贄を葬る目的で使われていた場所も存在します。

有名な所では、遺跡の中にある「セノーテ・サグラド(聖なるセノーテ)です。

考古学の調査によって、水の底からたくさんの人骨(戦士の衣装を着ている)や装飾品、奉納物が出てきたそうです。

この地には直径60m、水深80mにも及ぶ雨の神チャックの住処とされている

場所があります。当時、干ばつや豊作を祈願する際、神の声を聞くためとして

生贄が投げ込まれました。男女、子供など、様々な人々が捧げられたそうです。




セノーテのような場所は、世界中さがしても滅多にありません。

それは、普通「水中に鍾乳洞はできないから」です。

セノーテは、鍾乳洞にあとから水が流れ込んでできたため「水中の鍾乳洞」という

普通は見られないコンビネーションを見られる場所なのです。

イッツァ族はこの都市を建設した後、7世紀頃に一度姿を消しましたが、その後

10世紀初頭に、メキシコ中央高原の好戦的なトルテカ文明の影響を受けたイッツァ族

末裔が再移住して再興したのです。よってこの遺跡は、南側旧チチェン(5~7世紀)

のエリアと、トルテカ・マヤ様式に彩られた北側の新チチェンに分かれます。

有名なピラミッドと言えば、このチチェン・イッツァです。なかでも中央に聳えるカスティージョ(スペイン語で城砦)は、6.5k㎡の中に一辺55m高さ約24m、9層からなる建造物です。

頂上部に最高神ククルカン(別名ケツァルコアトル、「羽毛の生えた蛇」の意)を祀る

神殿を設けたこの建造物の空間的構造は、中米の伝統的宇宙論に基づいています。

中でも階段状の神殿ピラミッド「ククルカン神殿」は、春分・秋分の日の夕方になると、

階段上にヘビのようなジグザグの影ができることで有名なのです。

ククルカンとは、マヤ神話の至高神、羽を持つ蛇の姿をした農耕の神であり、創造神の事です。

さらに夏至と冬至には、ピラミッドの一面が太陽の光と影の部分に、ちょうど半々に分かれる

現象も確認されています。




中米では、世界は水平方向には中心と東西南北の四方位からなり、垂直方向には地上を挟んで9層の天空世界と地下世界が層をなし、天空の最上層には最高神の住処があると考えられていました。さらに興味深いのは、このピラミッドが古代マヤ暦を体現する時間的構造を持ち合せていることです。

四面に配された各91段の階段と最上階の1段を合計すると91×4+1=365段、

また北面の9階層が真ん中で分断されて計18段、これらはマヤ太陽暦の1年(18ヶ月365日)を表現する。また、ピラミッド四面にある計52個の浮き彫りは、マヤ暦で宇宙の1大周期とされた52年を表わします。

こうした光景が偶然の産物ではなく、マヤ文明の高度な天文学知識と建築技術によるものであることは言うまでもありません。ちなみにマヤ太陽暦の一太陽年(平均365.2420日)は、現在私たちが使用しているグレゴリオ暦(平均365.2425日)と比較して、その真値(約365.24218987日)により近いのです。

望遠鏡はもちろん、金属すら用いなかったマヤ文明におけるこうした高度な天文学の発達を支えたのは、数百万という膨大な数を簡潔に記すことができるマヤ数字と、ロング・カウントと呼ばれる古典期マヤの暦法によります。

後古典期マヤ(900年~1100年頃)最大の遺跡で、いまだに解明されていない謎も多く

残っている、とても不思議で魅力的な遺跡です!




イシュムカネーとイシュピヤコック、フラカンとともに、3回にわたる人類の創造に関わっていると言われています。


これらの現象は偶然の所産ではなく、天文学の驚異的な発達を示すものです。

こうしたマヤ人の高度な天文学知識と建築技術は驚嘆に値し、天文台の遺跡も残っています。

2007年に選定された新世界七不思議にここが選ばれたのも頷けますし1988年に世界遺産にも登録されています。この遺跡には、まだまだ解明されていない現象があるのかもしれません。日本で学ぶ歴史には中南米は、ほとんど登場しない為、多くの日本人は中南米の文化や歴史を知りませんし、初めて聞く地名や名前も少なくありません。

これを機会に、次回に訪問する場所の候補にしたいものですね。